咲く場所

 

なにもできない。自分の気持ちがへとへとだからだろうか、果たして、部屋が暗いからだろうか。

 

へんに季節外れで、災害の多い一年で、いらいらする。

 

世界が自分中心でないことは分かっているが、何もしていないのに熱を帯びたPCとか、そういうひとつひとつ、ないことを当たり前としすぎて、何にも対応できない。

 

自分をいろんな気持ちが苦しめる。承認欲求や自己顕示欲、だれにでも普遍的にあって、たぶん生きている限りは相当なことがないとだいたいのひとは付きまとう問題なのではないか。

 

それは現代に生きる、生き方が自由だから普遍的になったのであって、なんだか自分を過信してしまう。それはわたしだけだといわれれば閉口するが、だいたいみんな、人と比べて、いろんな気持ちと戦っていると思う。

 

ああ、頭が痛い。冷房をいれようか、もう夕方で、一日はこうも早く終わる。

 

なにもできない、と今年は何回感じて、活動的な一日を何日間無駄にして来ただろうか。

 

大切にしてくれる人をなんどむげにして、大切にしてくれない人たちになんど躍起になっていたか。

 

もうだめです、こんなわたしは。

色々と目上の人に自己を否定され、といっても自分が悪い場合が多いので仕方がないし、不当じゃなくてわたしが駄目なのだが。

どう転んでもわたしはついていけないことが多すぎる。やればいいってことじゃないし、ペースが人より遅くて、それを感じて自己嫌悪、もう駄目になって自分を取り戻して立ち上がってまた打撃、自信がないとか、そういう話ではなくなってきた。

 

なにを見ても、なにを聞いても、なにを読んでも、自分を否定するものにしか感じられない。こんななら、こんな自分に気付かず、毎日自信に満ちていて、楽しく笑顔で過ごしていた数年前のほうがよっぽど魅力的だ。

 

おなじ力量なのに、できないことに気が付きはじめると、もうなにも行動できない。

なにも言えなくなる自分に、なにも考えられなくなる自分に、いつになったら勝てるのだろうか。だれかに認められて解決はしない。ただ、わたしが力をつければそれでいいのかもしれない。

 

おかれた場所で咲けないのなら、わたしはどこに行けばいいのだろう。

咲けない場所があるとしって、わたしは無知のように生きられるのだろうか。

 

昨日、読んで全然わからなかった話を思いだす。

 

よんでもわからないことを聞いても、何も解決しなかった。結局わからないわたしを否定されただけになってしまった。

 

今週が終わろうとしている。やっぱり占いはあたっているのかもしれない。

 

 

namly