人間のレベル

 

 

ずっと迷走していた。2018年、なんで今このタスクに追われているんだろう、ということが分からず、というか、考える間もなく過ぎた。

 

なぜ今これをやっているのか、これが何のためにあるのか、分からないまま作業をすることができなかったわたしが、考える間も、立ち止まる間もないと感じ、焦りを感じながらただこなした。いや、こなせていない。

 

全部中途半端に提示して終わったものばかりで、情けないくらい毎回笑いながら非難に耐えた。

 

本当は笑ってなんかいられない。なぜ自分が今笑ってるのかわからない。

 

だけど、その場を乗り越えるために、非難の声を笑って流し、家に帰ってひとり、泣きながら、凹みながら耐えた。

 

反省している暇なんてあんまりなかった。反省とは時間がないとできない。

 

反省する間もなく次に、次に、と走り続けないといけない。

 

例えるなら、マラソンだと思う。

ラソンの距離、コースの難易度をあまり理解せず、走り出したときにはもう遅く、あと一歩で終わる、の状態で走り続けている。

もうとっくに息切れしている。

 

過呼吸で、水分不足で、筋肉もすたぼろ、意識も朦朧としている、その瞬間で生きている。

 

でも、これは意味のないランではないということは分かる。

毎回毎回、自分より上の人たちに指導をうけながら、成長の機会を期待の眼を向けてもらいながらもらっている。その機会をいろんな理由をこじつけて不意にしているのは自分だということは、自分がいたいほど分かっている。

 

大学4年生じゃなければきっとちがっていたのかな、と思う。

 

いま、やらねばならぬこと、決めねばならぬこと、たくさんありすぎて、訳が分からない。

人生、こう生きなければならないというルートはない、だけど、あらかじめ引かれたレールを踏み外す勇気もないのだ。

 

プライドも一丁前に高々と築いてしまって、これを守るためにひび過ごしている。

 

他人に指導を受けるとき、アドバイスを受けるとき、なにか言われた時、どう反応したらいいかがわからない。

 

人といるとき、人としゃべる時に思考が動かない、最近それを知ってから、人からの話をキャパオーバーゆえに聞けなくなっていた。

 

誠実に見えないかもしれない、だけど、ちゃんと一人の時に落とし込んでいる。

 

そのせいで、なめられていた、バカにされていた、とか、怒りを後から覚えて困ることもよくあるけど、その能力がない自分には、どうしようもない。

 

人と生きて、向き合っていくこと、それはとても高度なレベルにいないとできないのかもしれない。

 

namly