一番つらいのは

 

わたしはなにも大切にできない。

 

いつも周りが失ったものやもういない人に想いを馳せ、愛を語っていると、わたしもそれが好きなのに、なんだか入り込めなさを感じて、居心地が悪い。

 

もう死んだバンドマンの命日だ。わたしはリアルタイムで過ごした世代ではないけど、想いを馳せるみなに共感しきることができない。

もともとないものだからだろうか。

祖母が亡くなったときもそうだった。

 

祖母がいない世界は、わたしになにも変化をもたらさなかった。

祖母がいない世界は淋しいが、限りなく日常だ。

葬式では死ぬほど泣いたが、祖母が死ぬことで、人間についてたくさん考えた。

 

多分人は、甘えていて、そこまで実際好きじゃないとか、やんややんやとわたしを否定すると思う。自分が否定された気がするから相手を否定するのはなんか違うんじゃないか?と思ってしまう。

 

わたしの行為や発する言葉に愛がない、誠実じゃないものを感じるにしても、これがわたしだし、どこを搾取しても、どこを大事にしても本来なんら恥じる必要はないのだ。なぜ、まわりの目を気にしなければならないのだろう。いつもよくわからない。

わたしの好きなものの愛し方くらい、やんやと口を出されたくない。

 

反撃したいけど、その人にとってわたしの愛し方は目障りなんだろう。

 

わたしは確かに大事に愛さない。

小さなものもなんでもそうなのだ。酷使して、ポイ捨てしてしまう。

大事にできない。思い入れができない。

なんでもかんでも、それがわたしに何をもたらすのかが大事になるのだ。

その人が作った作品、その人と過ごした思い出、その人と一緒にいた時の独特な感情。それが何より大事なのだ。そのもたらしてくれたものは、わたしの養分になる。

 

人も、モノも、正直失って困るものなんて、実際たいしてなくて、失いたくはないけど失う時はこちらではどうにもならないと分かっているのだ。

 

手に入れるときは優柔不断だが、失う時はあっさりだ。失う時の抵抗ほど無駄な行為はないから。

 

大事にしたいし、思い入れをもって何かを愛したい。

だけど、やり方が分からない。出会っていないんだよって、見下すの、やめてくれよ。憐れむの、やめてくれよ、全然わからない。分かりたいようで、全く分からない。

 

こんなわたしも、つらいと思う時、譲れないものくらいある。多分それはこの世で一番くだらないかもしれない。

プライドだ、自分の。自分が一番大事。自分の感情、作り上げたなにか、絶対に否定されたくない。

 

namly