たまたま、必死。

 

本当のほんとうに、マジのマジに忙しかった。端的に、死ぬかと思った。

なにもしたくない、進まないから、何も終わっていないが久しぶりに思いつくだけの言葉で記事を書こうと思った。

前回の記事を見ると、ずいぶんつらそうだが、それどころではなかった。

 

空虚な時間が多くなればそれもそれで辛いが、詰まっていても辛くなるのだ。

大人というものは、その幅を利かせてコントロールできるということなのではないだろうか?

 

友人関係、恋愛?関係といった、人間の問題や、未だかつて進路に失敗したことがないわたしが初めてぶちあたる就職活動、集大成になる卒業論文、手は抜きたくない研究会。なにもかも、必死で駆け抜けていた。気がついたら1か月たっているくらいには。

しかし、何もうまくいかなかった。

 

二兎追うものは一兎も得ず、まさにこれなのだ。

分かっている、しかし、確実に一兎をとるために、他を捨てることなんてできないのだ。本当に、本当に、どれも大事で、どれも絶対に捨てちゃいけないものなのだ。

 

わがままなのだろうか?すべてに全力を尽くそうというのは。

バカなのだろうか?信念と目的を信じて学問に就職活動を疎かにして打ち込むことは。

 

バカにするなという目線や話し方が強まりすぎて、気付いたら面接がどこも落ちていた。いつか言われた生意気そうという一言がよぎる。

言うこと聞かなそうな若者、社会にはいらないのだろうか?それならコンピュータしか存在意義はないのではないか?

社会の言うこと、くだらない大人の言うこと、絶対にきかないし、心底バカにして過ごしてやる。自分の信念は曲げたくないといっていたら、やっぱりどこも受け入れてくれなかった。周囲の大人はわがままと言う。

自分の信念を曲げて、好きでもない人と好きでもなことに体力と時間を使っていくことが、大人で、生きていくということで、折り合いをつけるということで、、

こんなにITが進化しているのに、人間、いらなくない?と思う不条理さでいっぱい。

 

そういうことはいままでわがままに育ってきたんだね、と言われても。

自由気ままに成長させてくれましたよ、家族に感謝、周囲に感謝。でも、求められた感謝だけはしない。それはあなたの自己満足じゃん。こう育てたのは、あなたの自己責任。

なんだか受け入れてもらいたい!というわがままばかりになってしまった。わめいてわめいて、バカみたいだ。

 

数日前まで、勉強も、就活も、人間関係もすべてだめで、この世の終わりかと思った。人生どん底とは、まさにこのことなのかもしれないと思った。

なんでわたしが怒られるんだ?手放すんだ?

受け入れられないんだ?できないんだ?

疑問ばかりで焦っていた。悲しかった。

深夜にベッドに横になって、走馬灯のように自分の失敗と失敗予想図が流れ、不安と絶望で涙が止まらないという経験をした。涙なんて普段流れないのに、1時間くらい涙が止まらず、泣き続けた。

発表終わりに情けなさで涙が止まらなくなった。頑張り続けることにはじめて自信が持てなくなっていた。数日間、自分の涙腺がどこなのか、さっぱりわからなかった。

自分でやると決めたことは、自分の好きなことだから、絶対に放棄しないし、絶対にやり遂げてきたし、成功してきたが、自分の好きなことを本気で取り組んで、本気で打ちのめされたのは初めての事だった。それが×3くらいでくるから、さすがに心にも身体にも応えた。

一週間食事をまともにとらなかったせいで寝てばかりの生活をしているのにクマができたり、肌が沢山あれた。流し込んでいたビールのほうが多かった。

頑張っても帰って来るのは頑張った部分以前の自分のミスだった。

ふらふらとスーツをきていても喋りすぎてしまうことが多かった。

それでも、それでも、わたしはなしえないといけない、その気持ちだけで必死に涙をぬぐって過ごしていた。

 

もちろんその間一人だったわけじゃない。

なにもかも夢中になって、精神的な余裕があったころにはみえなかった、大切にすべき周囲の人たちが支えてくれていた。

こんなに悩んでいることを周囲に話したことは人生でなかったと思う。

だいたい本当に悩んでいることは周囲に言いにくい。

 

わたしが初めて悩んでいることを打ち明けたら友人(補足すると、わたしたちは普段悩み事を共有しないしめそめそしない)は聴いてくれただけじゃなくて、味方になってくれたし、わたしの落ち度も指摘してくれた。そして、なにも言わずに、「そろそろ会いたくない?」といって、わたしの自宅に来た。

押しつけがましくなかった。わたしも無理に御礼ばっかり言わなくて済んだ。

いい意味で無駄な礼儀をせがまれない関係は本当に理想だと思う。

 

突然呼びつけた人に話を聞いてもらったり、他にも近しい友人に多く聞いてもらった。

先生は頑張っていることは分かっていてくれた。本気で変なこと言うよねと言う嘲笑つきで。

とはいえ、沢山の人がわたしの味方でいてくれた。それがわかったことが本当にうれしくて、こんなに人はあたたかいんだと感じたことはなかった。

血のつながりとか、そういうことじゃなくて、自分で切り開いたコミュニティが、自分の味方でいてくれるということは、なかなか普段実感できない。

ちゃんと元気な時にお礼をしたい。押しつけがましくない方法で。

わたしは家族も大事だと思っているけど、家族が大事にしなきゃいけない理由1000パーセントである理由はどこにもないと思っている。

家族のことは好きだ。だけど、束縛はよくない。それぞれの個人、家族こそたまたま。

かっこいいのだ、わたしの周りの人たちは。大丈夫!?駆けつけるね、一杯泣きな?とか、自己啓発本にかいてあるようなことや、100の言葉系のことは一言も言わない。そこに本質を見出さないわたしの周りの人たちは、わたしの財産だ。

 

たぶん今はとてもつらいけど、自分にとって、ぜったいに必要な苦労だと思う。

だからこそ逃げ出したくない。ただ少し、休みは欲しいが。

 

この1か月の間にあったことを表面的な感情だけで振り返っても、全然伝えきれない。

なんていってもこの1か月は怒涛だったから。

やはりどこかでおかしい文章になっているだろう。これがあと1か月続く。

死んでしまわないように。

 

書きすぎてしまった。あほか。

おやすみなさい

 

namr