存在

 

 

最近、すこし就活が落ち着いて、大学の授業が始まって、卒論に取り掛からないといけなかったり、久しぶりにあう友達と過ごす生活が楽しかったり、少し忙しくなった。

 

なにごとも余裕がないと計画もできないし、余裕がないと視野が狭くなって苦しくなる。このバランスはいつまでたってもうまくいかない。

 

いくつか書類が通り、面接がはじまり、もうとにかく進むしかないなと思う毎日で、学校はやっぱりたのしくて、久しぶりにあう友達もなんだか色々抱えてる。

毎日人間と関わりがあるのはとてもいいことだし、同じ人間とばかりいるのもマンネリがあるんだと実感した。

 

学校が楽しいとはいえ、就活も決めなければならないし、卒業のための単位もとりきらないといけないし、卒論の準備は本格化して、スケジュールをみて真っ青になったり、働いていない分お金がないし、研究会も結構詰まっている。恋愛もうまくいってんだかどうだかわからない。

 

結局のところ、文学も他人の気持ちもいっさらわからないということがわかったという大学生活になりそうな気がする。

 

最近、恋愛感情に振り回されることがいかに多かったかを反省して、できるだけちいさなところからやることはやるということを実践している。

というのも、卒論の準備である先行論文を全く春休みに読んでいなかったから、読み始めるには遅すぎる時期までのうのうと来てしまったということに気付いたからだ。

 

他の人の作品も読み込まなければならないし、論文もまとめ、発表準備、就活、研究会…。言い訳をしてやらないことが一番嫌い(出来るとはいっていない、あくまで取り組む姿勢として)だけど、言い訳にしたい気持ちもよくわかる。

 

これだけつらそうなスケジュールをみたら、自分の計画性が試される気がする。

 

先行論をまとめるにしても、これまで100本をゆうにこえる作品を扱ったことがないし、なにしろ先生にも褒められたためしがない。

けなされてばかり。わたしは褒められて伸びる子なのに。

毎日褒められて、やさしくされて、赤ちゃんのように微笑みかけたい。

 

やってあたりまえのことも、あたりまえのこともできない人たちが多すぎる世の中なんだし、当たり前なことは肺呼吸くらいにしておこうよニッポン。

 

褒められたいときは褒めてほしいっていえばいいし、好きなものも嫌いなものも主張すればいい。わたしたちは社会の歯車と言われると険しい顔をしてしまいがちだけど、大体の人間は今死んでもとくに世界は止まらないし、せいぜい周囲の人が悲しんだり喜んだりする程度で、うまくまとまっていくもんだ。

歯車になれるということは実はとっても誇らしいことなんじゃないかと思う。

 

就活をしていると、歯車でしかない自分がいやで、という転職を経験した社会人がいうことがある。歯車になることすらわたしたちは許されていない。

みながなにかに歯車としてハマっていたくて必死の世の中なのだ。

 

かくいうわたしも、何かの歯車でありたいし。

 

よく頭のいい大人が教えてくれる。

自由とは、ほしがりがちだけど、制約があるから自由はあるということを。

境界線を引くから内部と外部ができることと同じで、なにもないところに自由が生まれることはまずない。

 

わたしたちはいま、必死に所属する制約をきめるために沢山の人間に、花粉症のひとに売り込む空気清浄機のようにPRをする。

売り方や戦略がうまいひとはもう決まっていたりするらしい。

 

幸いまだわたしは恋愛が辛いと思う程度には焦っていない。

 

これからわたしの制約はどう追加され、消され、ひきなおされるのだろう。

どんな人たちと一緒にいるのだろう。

このままでいたいけど、これは刹那。

 

永遠なんてない。わたしはいつかババアになるが、過ごし方でハイカラなババアになるか、羅生門の老婆のみにくさで死んでいくのかもしれない。

イカラなババアになるために、とりあえず苦労は重ねておきたいと思う。

 

今日もなんだかよくわからない一日だったけど、明日からも作業、作業、作業の毎日。

束ねた気持ちを大事にして、おやすみなさい。

 

 

naml