変化

 

 

今日、眠くて眠くて、11時間も寝てしまい、もうなにもやりたくなくなって、何もしなかった。

おきてだらだら母が昨日買っておいてくれたコッペパンを食べ、だらだらとPCでネットサーフィンをしていた。久々に使う単語だ。

最近ラインを返さなくなってしまっていたので、別に用事はないけどなにか喋っていたいという軽い連絡を取り合っていた友達たちは電話をしてくるようになった。

確実に相手にしてほしいときは、やっぱり直接あうか電話なんだと思い知らされる。

 

一番連絡を取りたい相手は、なんだか昨日1歩進んで2歩下がった感じがする。どうしたものか、不思議。自分の気持ちが少し変化していくだけで相手がそんなに態度を変えなくてもがらっとちがう人のように感じてしまう。

わたしが変ってしまったのか、相手が変ってしまったのか、とうとう見分けがつかなくて、混乱しながら昨日は一人で寝た。

 

でも、互いに変化しているんだと思う。人間はとまったままではいられない。電車で同じ方向に進む向かいの車両は止まっているように見えて、実はどっちも動いているという感覚に近いのかもしれない。

 

電車と歩く向きが違う時、たくさん歩いているのに、一歩も進んでいないように見えてしまう。こういうことなんだと思う。

 

一緒に映画をみて、感想を言いあえて、ここがよかった、最高!って興奮のままいえるのは、すごくすごく幸せで、でもなんでこんなにわたしはわがままなんだろう。

 

かれの夜を終電までもらったのに、ずっとじかんがほしくて、一緒にいたくて、悲しくなってしまう。どうしようもない気分になってしまう。

 

かれがわたしだけをみてくれればいいのになんて、思ってしまうのはいつ振りなんだろうか。術中にはまらない、といきごんでいても、無理なものは無理だった。

わたしはわたしの思い通りにならない、変な男を好きになってしまうから、いつもうまくいかないし、関係性に名前がつくことを恐れてしまうし。

絶対にわたしだけをみてくれない人に、いつもわたしだけを見てと願ってしまう。

なんと物悲しいルートなのだろうか。

かれとあるく時間、一緒に飲んでいる時間、わたしに合わせて煙草を吸う時、絶対にライターを借りたり、ベランダで煙草もとっくに吸い終わっているのに二人でだらだら話してしまって身体が冷え込んだり、合わせてくれていた歩幅、荷物を持ってくれたり、映画中ねても怒らないでくれたり、わたしのことを女の子と時々形容することだったり、わたしの不器用でなさけないところも笑ってくれたり、わたしの知らないことを教えようとかっこつけてくれたり、真面目なようで不真面目で、理屈っぽくて、趣味の押し付けが激しいから見れないっていってもお勧めしてくるし。そのたびに我慢してみていたら何となくへいきになってしまったり。

溢れるきもちを全部ことばに当てはめたら、切なくなった。こんなに恋愛漫画にありそうなのに、自信はないし、わたしはなにより何もしてあげられていない気がする。

初めてちゃんと遊んだその時にわたしの家で映画オールナイトをしたとき、見終わった朝、外も明るいのに、恋愛の話になった。昨日も久しぶりになった。お互い次をほのめかしたり、カップルのように見られていることは自覚していながら、次に進まない。

 

進む勇気がないのなら、わたしが踏み出してあげてもいいと思いながら、そもそもかれはこんなこと誰にでもやっていて、本当にわたしなんかどうでもいいと思っていたりするのではないかと悲しくなる。

 

3回目のデートのとき、連絡遅いよね、と言われ、遅いよ、と正直に答えたからかもしれないし、わたしが慣れたり、返せないことがあるからかもしれないけど、ちゃんと帰って来るようになった。

これがいい傾向なのか、それとも本当にわたしが映画ファンとして誘っているとでも思ってるのか、もう訳が分からない。かれは自分を鈍いと自覚しているけど、見ないふりをしているだけの気もする、というか、実は人一倍人間の気持ちに気付いてしまうタイプの人間のような気もする。

 

そうやって一人の異性にたいしてこんなにたくさんの想いを感じていたら、

気付いたら家を出なければならない時間はとっくに過ぎていて、しかも迷ってしまって、今日あった打ち上げに幹事のくせに遅刻した。

久しぶりに会う人たちはやっぱり本当に寄せ集めだったはずがあたたかい集団で、少し泣きそうになった。

 

良くも悪くも直球で会話をする人たちの美しさに、胸を打たれ、最近は、土壇場に、雑に、ありあわせのもので取り繕って、たいしたことない自分になって失望するということを繰り返していた自分には、沁みすぎて、楽しかった。

美しい時間だった。

と同時に、もうあの頃の一体感も薄れているんだという変化も感じた。

でもこれでいいのだと思う。

いつかまた巡り合って、どこかで出会い、記憶のなかに埋もれていく。存在する以上、可能性だけは常にある。

生命あるものは時と共に必ず変化する。

変化ない生命などないし、変化がないということは、どこか違うところで変わっているのだと思う。

 

変化は生の証で、対応して行くことも生、逆らってあがくことも生。

うけとめ、川の流れに巻き込まれる石となることも生。

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写真はこんな気分のときにとった、パンダ狩り。

上野、いきたい

 

naml