別離

 

 

久しぶりにPCをひらく。

一週間前、朝に地元の祖母の訃報を聞いた。

母はわたしに気を遣って一日おいて報告してくれたがあまり意味があったと思えない。

 

何故なら、覚悟をしていたから、聞いてもそこまで驚かなかったからだ。

とはいえ、やはり少しは動揺する。急いで帰省できるように整え、でもおなかもすいていて、なんだか急いでいた割に無駄な動きが多かったように思う。

結局バスも間に合わず、電車の中で次の便を予約した。

 

バスの中もいまいち実感がわかないまま、どうしたらいいかわからない気持ちでいた。

 

人生で一番イギーポップが沁みた。意味が分からないが、感覚的には不自然なことではないんじゃないかと思う。

 

地元につき、母と妹が迎えに来ていたが、二人ともやっぱりいつも通りで、身内がひとり死んだようには思えなかった。

 

祖母の家につくとあったことのない親戚、遠い昔に祖父の葬式であったのみの人たちが沢山いた。

挨拶を軽く済ませ、祖母を見に行く。

衝撃だった。祖母がこんなにきれいだったなんて、知らなかったのだ。

 

死に顔にしてはあまりにもきれいで、本当に眠っているだけに見えたし、あまりに安らかだった。

 

祖母の姿を見れば実感がわくもんだとおもっていたのに、これでは全く実感がわかない。

目の前にいるのはもう一人の祖母で、実は祖母は生きていて、どこからか出てきて死んじゃったねえなんて話しかけてきてもおかしくないと思っていた。

父から深夜に洗濯を済ませ、寝ようとするところに心筋梗塞になってあっという間に逝ってしまったと聞いた。顎のあたりに強打した傷があった。

 

白く、21のわたしよりもつやがあるその肌には、その傷は目立ちすぎていた。

一瞬混乱のまま涙が出そうになるが、いたって日常のような心持だった。

 

忌引きの連絡をいくつかとり、そのうちの全てから、想像していた以上の心配の声を貰った。実感がないから悲しみもわからない。

そんな言葉をかけられても、正直仕事に穴をあけた責任感のほうが全然あるのだ。

 

親戚や知り合いが祖母にあいさつにくる。

そこで、わたしの知っている祖母は、ほんの一面でしかなかったことに改めて気付かされた。

知らないエピソードがおおすぎるのだ。

なおのこと、祖母とは誰だったのか、おばあちゃん子を自負していたし、子供のころは共働きの両親であったこともあり、祖母の家に自宅よりもいた。

 

なんだか変な気持ちだった。食欲もあるし、なんなら最近の忙しさにげんなりしていたから、思いっきりすべてをストップしてしまい、回復もしていた。

禁煙状態だった。お酒も飲んでいなかった。

祖母はタイミングよく逝ったのかなと思うくらいだった。ちょうど先週までがゆっくりできる最後の期間だったから。

祖母が棺桶に入るとさすがにだんだんとこの肉体はただの物質なんだと思い知らされ、涙が出た。死の認識は、死の儀式によってやっと認識させられたのだ。

 

祖母の葬式・通夜には、多くの人が来た。喪主である父の長女、所謂一番目の孫であったから、結構前で過ごしていた。

祖母は、雑で、快活に笑い、ちょっとケチで、やさしかったが、愛情表現の差が露骨にわかる祖母だった。わたしは一番祖母が呆ける前に一緒にいたから、全て優遇されていたが、妹とはだいぶ格差があった。妹との件で父が祖母に何度か怒鳴り、妹と祖母はいつしか確執が生まれていた。わたしは黙っていることしかできなかった。いや、しなかった。それに甘んじていたから。

しかし、祖母の死に無関心にみえていた妹も、ぽつり、おばあちゃんはわかめのごはんが大好きだったといった。

わたしは祖母がわかめのおにぎりをよく作り、ふるまってくれていたことをそこで初めて思い出したのだ。

偶然化粧品を掘り起こし、死に化粧をしてもらった祖母は、赤みがまし、より一層寝ているようだった。

死の儀式は、死を認識させるものでもあるが、死によって集まってきた人たちと、死した人を立体化し、再度記憶に刻み、忘れないようにしていくための儀式でもある。

生死は対偶をとるということは、前期さんざん作品のなかでやって来たが、お坊さんの話にも出てきて、微笑んでしまった。

 

生を知るには死を知らなければならない。それを行うのが葬式であると思う。

 

葬式が全て滞りなく終わり、祖母は灰となり、祖母の部屋には祭壇ができていた。

なんだか変な話だが、まだ祖母は死んでいない気がするのだ。

祖母の遺品を整理しながら、かわいい服、鞄、アクセサリーはすべて形見としてもらった。

鞄はいつも祖母が持っていたものだった。お葬式はそのかばんで挑んだ。

喪服ももらった。

 

わたしはだれよりも祖母を外側から忘れない、忘れたくないと思って、たくさんもらった。

こんなんじゃ、生きているときにあげてやればよかったねえ、と母は祭壇に向かっていう。わたしも、なんでこんなにいっぱいあんだよ、と一人ごちた。

 

祖母が生きている間、最後に会ったのは、9月末。祖母が入院したときだ。

今年の正月は切羽詰まっていて帰らなかった。

なんとなくさいごなのかと9月は思っていたが、その後母から回復がすごくて元気と聞いていたから、会えるもんだと思っていた。

やはり人は突然死ぬ。覚悟していたと思っていても、想像の何倍も混乱し、その人との記憶は少ししかないし、嫌なこともあったはずなのに、思い出はもうすでにきれいに脚色されている。

 

お寺に向かうバスで、花を持ちながら祖母の姿を町に当てはめる。まださまよっていそうだ。

祖母とよくいったコンビニのようなところはとっくにつぶれ、周りは少しずつ変化している。もう確実に、記憶していくことしかできないのだ。

会いたい、話したいとおもってももういない、その事実は、紅茶のティーパックをいれたてのお湯みたいにまだなじまない。

おかしな話だ。

 

最後に。わたしは祖母と祖父に、成人式まで生きていてね、と小さいころからなぜか告げていた。

祖父はそんなことを言わずに12年前に亡くなったが、祖母は、本当に成人式をちゃんと見てくれた。

わたしの振袖姿をみて、きれいじゃんと言ってくれた。

その時の写真が祖母の遺影になった。

もっときれいな祖母はあったはずだけど、写真の祖母は記憶の中で最後の元気な祖母だ。

ありがとう。本当に成人式まで生きててくれて。そして、おばあちゃんはにくいところはたくさんあったけど、愛情もたくさんくれた。祖母の大きな笑い声にどれだけ救われたかわからない。

あのよでおじいちゃんとはやく再会して、幸せであってほしい。おじいちゃんがいなかった12年、よく頑張った。

 

あと、化粧道具をいれるのを忘れてごめんね。死に化粧で許してくれるかな。おばあちゃん、きれいだったよ。

またいつか、再会しましょう。笑って会いたいな。

それまでたまには見守ってね。

 

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