張ってみた見栄の行き着く先は

 

 

今日は一日中見栄っ張りな日だった。

今度来る人にだらしがないと思われたくなくて、久々に家の中を掃除した。

そして掃除しながら賞味期限が切れた食べ物とかを捨てていたら、冷蔵庫から調味料とお酒と卵しか見当たらなくなって、スーパーに言って野菜と肉をあせってかった。

家庭的って思われようとしていないけど、こいつ怠けてるとは思われたくない。

エゴの塊だった。料理なんて最近寝に帰っているようなものだからほとんどしていない。

お金もあんまりなかったから野菜も肉も買わなかった。猛省。

だらしがない部分をきれいにして、友達からドタキャンを食らったので全休なのに学校に行ったのだが、歩きながら、人間を取り巻く恋愛と友情というカテゴリにおける人間についてずっと考えていた。

きのうどうにでもなればいいなんて言っていたけど、自分でもちゃんと情けないくらい惹かれていて、この前までの中途半端なところで悩んでいたのに、女ごころは秋の空ってか!と一人で突っ込んでしまった。

でも、本当にわからないのだ。きっとわたしは好きだけど、これは友達に対しても思うし、そこに性別の差なんてどこにもない。優先すべき順位もあくまで人間という大きなくくりでしか見れない。

恋人ができたら友達と疎遠になるなんてよく聞くし、自分も疎遠になられてきたが、正直そんなことが身の上に起こるのかすらよくわからない。

一緒にいる人の選択肢に恋人が入って来るだけで、そんなに大きく変ってしまうものなのかと少し不思議になる。

いい感じじゃん!絶対付き合うよ!とかの基準もわからない。

恋人と友人の境目って何なんだろう。

セックスをするかしないか?

口と口でキスをするとか高価なプレゼントを与え合うとか?

クリスマスとかはずっと一緒にいるとか?

友達には見せられないところも恋人には見せられるとか、はたまたその逆とか。

 

いつもわからなかったことがどんどん浮いてくる。

友達に恋人ができると、いつもおいてけぼりで、優先順位が明らかに下がる。

それって友達は恋人がいないときの補欠みたいな人間ってこと?

なんだか取り留めもなくなってきたが、考えすぎなんだよ!とはこれまで沢山言われてきた。余計なお世話だ!とおもうけど。人間の人生なんてたかだか80年なんだから、必死にモノを考えて損はない。素材や要素のように、原材料の一部のように言われることを嫌がるのならば、たくさんの事を思考して、自分で道を選ばないといけない。

 

めんどくさい人間だからめんどくさくない人には厄介がられるが、個人的に、じぶんがめんどくさくなくなることがこの世で一番恐ろしい。

恋人も好きな人もここ数年それがわからなくて遠ざけて来た。

身体で完結する関係ばかりだと知ったからかもしれない。

必死に自分と向き合いたいし、その分他者と向き合いたい。

そのことを面倒だと思う人間とは一緒にいられないのかもしれない。

なんちゅーめんどくささ!

 

namlyman