形も身なりも変化しても

 

 

今日、The Birthdayのライブだった。

ミッシェルが大好きで、チバユウスケが大好きで、だけどBirthdayはいままでちょっととっつけなくて…

でも夏の終わり、あまりに勉強のスケジュールがつらく、なにか自分に楽しみを与えたくて、チケットを一般で急いで購入した記憶がある。

その後、Birthdayのアルバムを『NOMAD』をはじめとして沢山聴いた。

通学中、一人で暇なとき、なんだかぼんやりする時、一人の帰り道。

できるだけたくさんきいたが、何回も聞いたアルバムとそうでもないアルバムがある。

 

そこには確かに辛いとき何度も救われたチバの声があって、聴き手に寄り添うわけでも媚びをうるわけでもなく、滲んだやさしさがあって、勝手に沁み込んで来て、ついて行こうと思ってしまう。

くそ~ほんとに結局チババンドが好きな女になってしまったじゃないか!と思いながら、先週の発表以降そわそわしていた。実は。

 

でも、昨日は眠れなくなるかと思ったらぐっすり寝たし、なんなら昼過ぎまで寝ていた。

案外実感ってこないんだなとおもって、お台場に行くと、ライブハウスあるあるのファン濃度によるバントマンコスプレの多さ、そして何より質の高さにビビる。見事に全員タイプかよ…って正直なったし、女連れもいたけど、男と男が来てるってチババンドっぽいなって勝手に思った。あんまり男が多い現場もこれまでなかった気もする。

女の人も美人が多くて、そして年齢層もあるのか、穏やかで全然イライラしなかった。

いつもファンが若い現場に行くことが多かったので、なにからなにまでアレルギーのようにイライラしていたが、やっぱり年齢層があるのかと納得した。

過去最高に気分の乱れがなく、開場すると、SEが完全にチャックベリー的ロックンロールだった。自分の曲を流したり、自分の友人のバンドを流したり似通ったものを流したりしていると思っていたが、ロックンロールは意外だった。パンクとか流れているのかと思っていたから。

でも、うれしかった。ちょっとシャザムした。入ったのがおそかったからあまりできなかったけど。

 

ライブが始まると、「なにがなんだかもうよくわからないが死ぬほどカッコイイ」の一言に尽きてしまった。

チバ、キューちゃん、フジケン、ヒライ、みんな画面の中の世界にいた人たちが、何もフィルターがない同じ空間にいることがもう訳が分からなかった。この声は今発されていて、マイクとスピーカーを通しているんだと思うと、なんだか実感のわかない域に突入していった。

モッシュもなにもなく、ここでもイライラがないと、今まではなんだったんだと思ったが、その分じっくり見た。

いまなにも思い出せない。沢山踊って、沢山叫んで、じっくりとステージを見ていたのに、具体的に言えることはなにも思い出せない。

でも、この曲のこの演出がよかった!とかは、たくさんある。けどこれは今日中にセットリストを確認しながらメモしていかないといけない。

このブログで書くかは分からないけど、絶対にどこかに書き込んでおく。ここじゃなかったら、手帳のチケットはった部分かな。忘れたくないし、むげに扱いたくないライブは本当に久しぶりだった。

「哀しみなんか棄てて、ファンキーに生きよう」というチバの言葉は、哀しみにあふれていた自分にはとても沁みた。

投げキスもびっくり アンコール踊るチバも子どもににこやかなチバもビールを飲むチバも全部かっこよかった。

いやほんと、チバしか見る余裕なかったな。

次の日も行けたらもっとよく見れたのにな、と思うけど、きっとこれがあるから次がある。

 

終わってからも呆然としてふらふらと歩いてしまった。もともとお台場は苦手でいつも迷うのだが、いつも以上に迷った。

今日はとにかくよかった。早いうちに言葉にする。

明日なんでバイト入れたんだ!と後悔しながら、寝坊しないようにしたくをします。

とにかく、チバの背中をこれからもみたいし、信じていたいそう思えた夜でした。

 

沢山のありがとう

 

namlyman