ゾンビレール

 

 

最近の悩みの6割が将来のことについて。4割はどれだけストレスフリーに貧困生活を送るか。

大学3年生と聞けば、逆に6割しか考えていない事実に驚きかもしれないが、それ以上考えると、残り少ない学部生生活を感じて辛くなる。かなしいのだ。

 

いま本当に大学の勉強が楽しい。院に行こうか真剣に悩んでいるくらい。

正直成績が悪いので、数字や記号だけで評価するとこいつは何を言っているんだといわれるレベルだ。

 

親にそれとなく

「あのさ、院に行こうか悩んでいるんだけど」

といってみたら、思った以上に反対されて、自分のやっている学問は社会にどれだけ理解されないか、風当たりが強く、表向きでは認めてくれていても、所詮は大学生と見られている事実を目の当たりにした。色々な文化や文学を吸収する時間は、果たして完全に怠けなのか。

それを制限することが、正しい生き方なのか?それを全力で楽しみ、考え、吸収することは、甘えで、生活の7割はつらいことでないと、社会は人として認めてくれないのだろうか。

人生は一回しかなくて、でもこの世界はたくさんの人生に溢れていて、何億光年と地球はあって、人間は文明や技術だけでなく、文化や娯楽を発展させてきた。

その何億光年の地球の中で、80年程度しか存在できない刹那的な自分が、できるだけ多くのものに触れて、考えて、吸収したいという気持ちのどこが悪いんだろう。

どうして人は、辛いことを乗り越えないと人間としての存在を認めてくれないんだろう?

祖父に今日電話してみたら、思った以上に大きな心で受け止めてくれて、否定はしなかったけど肯定もしてくれなかった。

文学をやってなにになるなんて、何かにならないと、社会に貢献できないと人間はダメなのか。悲しいけど、正しいという意味で言ったら祖父が正しい。

でも祖父は、わたしの気持ちを汲んでくれて、頭ごなしに否定しなかった。論理的に、教えてくれた。

涙が止まらなかった。

 

信頼する大学教授をたずね、忙しい時間の合間をぬって相談に乗ってもらった。

本気なのか?というような、本気で相談に乗ってくれたようなかんじはしなかったが、ある程度肯定してくれて、ある程度厳しさをちゃんと教えてくれた。気持ちをくみ取ってくれて、泣きそうになった。横光の直筆原稿をみて、今度学会に来なさいと言ってくれた。最近の発表をほめてくれ、沢山のことを知っている親戚のおじさんのような、わたしのことを正しい距離で話してくれる先生がやっぱり大好きだ。

 

わたしは義務教育の9年間、高校3年間、大学4年間が今のところある。

そのうち、義務教育を4年、高校を2年として、大学を7年間にしたい。

 

学部生の内では、本も知識人も、同じものを志す仲間もいる最高の環境なのに、さわりだけしかできない4年間、悲しすぎる。人生における、最高に幸せな時間がもうすぐ終わるのかもしれない。

社会になんて出たくない。本当に、かび臭い伝統や慣習、根性論、腐った根のように張っている気がする。この世はみんな敵に見える。

どれだけ都合のいい、きれいな言葉で話されても、だまされているように感じる。学生だからとばかにされたようにかんじる。

誰もかれも建前で、表向きで、セミナーも説明会も、なにをきいても、うけても、なんでそんな言葉で話さなきゃいけないのか、なんでこれをみんな甘んじて受けているのか、なにもかもわからない不気味なものに見える。

それまで友達だったひとも、リクルートスーツに身を包み、たかが学校に人事部が来るだけの話なのに、就活生というアイデンティティを喜んでうけ、就活ヤダーといいながら企業メモをとる。そんな時間があるなら、文学の勉強をしたい。

最近感じていた周囲から色が消えた感覚、自分だけが何かよくわからないものに取りつかれているように感じていたが、人はレールの上を歩かなければ人でないのか。

自分がどうすればいいかわからない、でも信用できる人間がほとんどいない。襲ってくるゾンビのような大人たち。

いやなんだ、単純に。変ってしまった友達も、大学生活の薄っぺらさも、そうしてしまった中途半端な自分も、この世の中も。

ほんとうにいけすかない。

もうそんなことばかり考えていたら、ねむい。

今日は映画をみる気分になれない。疲れすぎたんだ。

明日は一日中学校だ。抗い続けていたら死んでしまう。けど負けたくない。

 

 

namlyman