永遠なんてどこにもない。

昨日祖母と電話した時の、祖母の年の具合に涙しそうになった旨を、今日母に報告しようと電話を掛けた。

母とは月に数回連絡を取り合うが、今月は先月末から忙しかったこともありあまり連絡を取っておらず、お互い少し話したい空気が電話の間合いから感じ取れた。

ちょうど祖母の家に母がいたらしく、結局母にこっそり報告するつもりが、筒抜けだった。

耳が遠くなっている祖母、肝臓がかなり弱っているらしい。

酒の飲みすぎだよ~あんたも気をつけな、なんて母と祖母に笑われ、次はどこに旅行に行こうかとか、最近の家族の様子とか、観た映画の話とか、たくさんの話をした。

だけどあとで違う用事で母にかけなおしたら、思っていたより深刻で、多分治る病気じゃないといわれた。

祖父はいま目を患っていて入院中。もう一人の祖母も、もう一人の祖父が10年ほど前に他界してから、年を重ねるごとに死にたいという言葉を聴くことが増えた。

小さいころは、「おじいちゃんとおばあちゃんは、成人するまで生きててくれればいいなあ」とぼんやり考えていた。もう成人してしまったが、4分の3がまだ生きていることはとても幸福だと思う。

そういえば、曾祖母も生きているが、曾祖母はわたしのことを覚えていてくれている。

わたしは、彼ら全員にとっての”初めての孫”(もしくはひ孫)という存在になれた。

あまりお姉ちゃんなんだからといわれた記憶もないせいか、あまりお姉ちゃんという感覚もない。自由にのびのび育ててくれていた。

或る程度大きくなると、両親は忙しく、祖母とばかりいた気がする。

もともとおばあちゃんという存在が大好きで、怒られたこともあまりなかった気がする。

肝臓がわるい祖母は、わたしが中学一年のとき、興味本位で不良の友達と一緒に煙草を吸ってみたことがばれて停学になったとき、寝込んでしまった。家族のどの反応よりつらかった。もう死んでしまった祖父が煙草で肺を悪くして死んだので、父にはしこたましごかれた。

 

家族というのは本当に不思議で、声を聞くだけでじんわりと一人で立っていることが難しい気持ちになる。

反抗期も一通りあり、さんざん反抗して家族なんてみんな嫌いだったが、あの頃貰った言葉はみんなわたしのどこかに染みついていて、あの頃考えていたことは今でもわたしの芯になっている。

いまでも自分のことしか考えられていないということを思い知らせてくれるのも、家族だ。忙しさにかまけて、悲しいくらい忘れてしまう家族を、やっぱりわたしは安心しきって、頼り切って大好きなんだと思う。

わたしの家族は父方と母方があまり仲良くない。

いまとなっては大問題の喧嘩もあって、たくさんの大人がわたしをめぐって怒鳴りあっているのを見て、なにがなんだかわからなかったが、彼らに共通して言えることはきっとわたしを愛してくれていたということだと思う。

わたしも声を大にしていえる。

家族を愛しているし、家族が大事だ。どうしようもなく身勝手な娘だし、全然大人になれていないけど、気持ちだけは伝えたい。これまでありがとうの気持ちくらいは伝えたい。

後悔のないように、今度実家に帰ろう。

寒くなって来た大きな山の麓に。

 

namlyman