白と黒、時たま、?

 

 

毎日毎日、一日が始まり、終わり、なんとなく、なあなあと、だらだらと過ぎてゆく。

 

何もないと思っていた平穏な日々は、なんだかんだで何かある。

 

書くことを止めると、次に書くときに氾濫した川のように自分勝手な文章で、甘えた剛速球のような記事ができてしまう。

 

書いているほうも余裕がないからきついと思う。

 

書くことはやめてはならないライフワークなのかもしれない。

どんなに忙しくても、書くことは楽しい。文章を書くことが下手だと言われるし、たまに本当にめちゃくちゃな文章を書いたり、だれもわからない自分勝手な文章もできる。

 

他人に理解してもらうための手立てはしたくなくて手は抜きまくりで、仕上げたから!と思っちゃう。

 

この前友達と、手料理をふるまってくれた友達がお皿や盛り付けを一切気にしないでもてなしてきた、という話にまぁよく笑ったけれど、わたしは文章でよくそれをしてしまう。いや、多分文章意外だとおもう。

 

諦められていたんだな、と思う。ただ、それをわざわざ伝えて来るということは、どうしても目障りなんだな、と思う。許せないんだと思う、自分が許されてこなかったから。

 

わたしだってなおせるならいいけど、人間はすぐになおらない。わからない。本気にならない。開き直っているというか、じゃあどうやったら納得してくれる?と思っている。

じゃあお互い見えないところに行った方がいいよね、と思う。

 

自分を作って来たものが終わりかけのジェンガのよう。

 

悲しいかな、これが現実。

 

最近そうなるのがただの勉強不足なんだと気づいてきた。

 

考えていることに対して知識の武装がないからいざという時に使えない。

本を読もう、大昔の人たちの、大昔の言葉にふれないと、そう思った。

 

口先だけではだめだとわかっている。

 

いつでも自分のふがいなさと戦っている。涙が出そう。

 

守ってくれるひとをもとめながら、いざ守られると余計なお世話とかみついてしまう、所詮わたしは逆張り女。

 

namly

どろっと

 

 

なんにもやりたくない、そう思っていたらせっかくのお休みだったのになにもやらないまま一日が終わっていく。こんなに何もやらないんだったら、好きなこと思いっきりすればよかった、と毎回思うが、学べないね。

 

毎日毎日あほみたいな生活を送っている。

人生で一番低いところを一度味わったら、全てがどうでもよくなってきた。

 

平穏かもしれない。

たまに、予定を見合わせて顔が青ざめるというか、血の気が引いていくのを感じるときがある。

だからといって、わたしはだいたいのことは頑張るしかないな、と思ってやるタイプだから、蒼ざめるということは相当なのだ。本当に死んでしまう、と思うときだ。

 

そんな気持ち、大学生になってからしか感じたことがないし、そもそも大学生になってからと言っても去年ごろから感じるが、今年に入ってからもう2回は感じている。

 

発表が月に4回あったとき、一つ一つの大枠から自分のペースで作りたいのに、話を聞いてからのハイペースさ。

事前に決まっていても間に合わない。前倒しにできない。(前に〆切があるから)

こんなに急がないといけないのか、こんなに厳しくしないといいものってできないのか。と葛藤する。

 

いつも自分のペースが乱されることに一番のストレスを感じるぶん、ここ半年はずっとペースを乱されていて辛い。

 

必死に発表終わってのみの席で説教されて、プライドというか、なんというか。

わかるんだけど、わたし、そんなにうまくできないよ。

 

うまくできないからこそ、辞めるしかないのかな、と思うけど、わからない。

前いた部活をやめるときは、このままいたらダメだ!という確信があったからやめられたけど、これはわからない。

辞めちゃいけないつらいと、やめなければならないつらい。

できないとおもうのに、逃げることになるのだろうか。

 

出来ることだけを頑張るって駄目なんだろうか。

なにが正解なのか、自分の生き方、精神の持ち方が社会や身近な人と合わなくて苦しい。

友達は置いておいて、なんかしっくりこない。

 

この数か月、頑張って力抜いて怒られて怒って葛藤して我慢して苦しくて、泣いて、泣いて。楽しいこともあったけど、苦しいことだらけだ。

 

人生の中で一番つらかったのはいつですか、と聞かれれば今でしかない。

これからさき、これと同レベルで辛いことが日常になるくらいなら死んだほうがマシ。

 

生きている意味なんて、幸福を味わうためであって、不幸はスパイスでしかない。

唐辛子だけ食ってるやつなんてくるってる。

 

あー、なにもかもやる気が出ない。

大事にされたい。大事にしたい。

びちゃびちゃになスケベな映画でも涼しい部屋でみたい。

クーラーのきいた部屋で暖めあいたい。

 

自分はダメな人間だけど、みんなダメなところぐらいある。

傲慢でいいとおもうし、人に合わせまくっていたら疲れてしまう。

 

周りでなにか起こっている、わからない、わからない。

 

夜はいつかあけるかもしれないけど、闇からはいつ抜け出せるんだろう。

懐中電灯の電池、誰か。

 

namly

たまたま、必死。

 

本当のほんとうに、マジのマジに忙しかった。端的に、死ぬかと思った。

なにもしたくない、進まないから、何も終わっていないが久しぶりに思いつくだけの言葉で記事を書こうと思った。

前回の記事を見ると、ずいぶんつらそうだが、それどころではなかった。

 

空虚な時間が多くなればそれもそれで辛いが、詰まっていても辛くなるのだ。

大人というものは、その幅を利かせてコントロールできるということなのではないだろうか?

 

友人関係、恋愛?関係といった、人間の問題や、未だかつて進路に失敗したことがないわたしが初めてぶちあたる就職活動、集大成になる卒業論文、手は抜きたくない研究会。なにもかも、必死で駆け抜けていた。気がついたら1か月たっているくらいには。

しかし、何もうまくいかなかった。

 

二兎追うものは一兎も得ず、まさにこれなのだ。

分かっている、しかし、確実に一兎をとるために、他を捨てることなんてできないのだ。本当に、本当に、どれも大事で、どれも絶対に捨てちゃいけないものなのだ。

 

わがままなのだろうか?すべてに全力を尽くそうというのは。

バカなのだろうか?信念と目的を信じて学問に就職活動を疎かにして打ち込むことは。

 

バカにするなという目線や話し方が強まりすぎて、気付いたら面接がどこも落ちていた。いつか言われた生意気そうという一言がよぎる。

言うこと聞かなそうな若者、社会にはいらないのだろうか?それならコンピュータしか存在意義はないのではないか?

社会の言うこと、くだらない大人の言うこと、絶対にきかないし、心底バカにして過ごしてやる。自分の信念は曲げたくないといっていたら、やっぱりどこも受け入れてくれなかった。周囲の大人はわがままと言う。

自分の信念を曲げて、好きでもない人と好きでもなことに体力と時間を使っていくことが、大人で、生きていくということで、折り合いをつけるということで、、

こんなにITが進化しているのに、人間、いらなくない?と思う不条理さでいっぱい。

 

そういうことはいままでわがままに育ってきたんだね、と言われても。

自由気ままに成長させてくれましたよ、家族に感謝、周囲に感謝。でも、求められた感謝だけはしない。それはあなたの自己満足じゃん。こう育てたのは、あなたの自己責任。

なんだか受け入れてもらいたい!というわがままばかりになってしまった。わめいてわめいて、バカみたいだ。

 

数日前まで、勉強も、就活も、人間関係もすべてだめで、この世の終わりかと思った。人生どん底とは、まさにこのことなのかもしれないと思った。

なんでわたしが怒られるんだ?手放すんだ?

受け入れられないんだ?できないんだ?

疑問ばかりで焦っていた。悲しかった。

深夜にベッドに横になって、走馬灯のように自分の失敗と失敗予想図が流れ、不安と絶望で涙が止まらないという経験をした。涙なんて普段流れないのに、1時間くらい涙が止まらず、泣き続けた。

発表終わりに情けなさで涙が止まらなくなった。頑張り続けることにはじめて自信が持てなくなっていた。数日間、自分の涙腺がどこなのか、さっぱりわからなかった。

自分でやると決めたことは、自分の好きなことだから、絶対に放棄しないし、絶対にやり遂げてきたし、成功してきたが、自分の好きなことを本気で取り組んで、本気で打ちのめされたのは初めての事だった。それが×3くらいでくるから、さすがに心にも身体にも応えた。

一週間食事をまともにとらなかったせいで寝てばかりの生活をしているのにクマができたり、肌が沢山あれた。流し込んでいたビールのほうが多かった。

頑張っても帰って来るのは頑張った部分以前の自分のミスだった。

ふらふらとスーツをきていても喋りすぎてしまうことが多かった。

それでも、それでも、わたしはなしえないといけない、その気持ちだけで必死に涙をぬぐって過ごしていた。

 

もちろんその間一人だったわけじゃない。

なにもかも夢中になって、精神的な余裕があったころにはみえなかった、大切にすべき周囲の人たちが支えてくれていた。

こんなに悩んでいることを周囲に話したことは人生でなかったと思う。

だいたい本当に悩んでいることは周囲に言いにくい。

 

わたしが初めて悩んでいることを打ち明けたら友人(補足すると、わたしたちは普段悩み事を共有しないしめそめそしない)は聴いてくれただけじゃなくて、味方になってくれたし、わたしの落ち度も指摘してくれた。そして、なにも言わずに、「そろそろ会いたくない?」といって、わたしの自宅に来た。

押しつけがましくなかった。わたしも無理に御礼ばっかり言わなくて済んだ。

いい意味で無駄な礼儀をせがまれない関係は本当に理想だと思う。

 

突然呼びつけた人に話を聞いてもらったり、他にも近しい友人に多く聞いてもらった。

先生は頑張っていることは分かっていてくれた。本気で変なこと言うよねと言う嘲笑つきで。

とはいえ、沢山の人がわたしの味方でいてくれた。それがわかったことが本当にうれしくて、こんなに人はあたたかいんだと感じたことはなかった。

血のつながりとか、そういうことじゃなくて、自分で切り開いたコミュニティが、自分の味方でいてくれるということは、なかなか普段実感できない。

ちゃんと元気な時にお礼をしたい。押しつけがましくない方法で。

わたしは家族も大事だと思っているけど、家族が大事にしなきゃいけない理由1000パーセントである理由はどこにもないと思っている。

家族のことは好きだ。だけど、束縛はよくない。それぞれの個人、家族こそたまたま。

かっこいいのだ、わたしの周りの人たちは。大丈夫!?駆けつけるね、一杯泣きな?とか、自己啓発本にかいてあるようなことや、100の言葉系のことは一言も言わない。そこに本質を見出さないわたしの周りの人たちは、わたしの財産だ。

 

たぶん今はとてもつらいけど、自分にとって、ぜったいに必要な苦労だと思う。

だからこそ逃げ出したくない。ただ少し、休みは欲しいが。

 

この1か月の間にあったことを表面的な感情だけで振り返っても、全然伝えきれない。

なんていってもこの1か月は怒涛だったから。

やはりどこかでおかしい文章になっているだろう。これがあと1か月続く。

死んでしまわないように。

 

書きすぎてしまった。あほか。

おやすみなさい

 

namr

重さ、50g?

 

 

GW直前、辛すぎて、終わればGW、と毎日唱えていた気がする。

そんなGWも明日で終わり。

GWは楽園のような地獄だった。

 

一人の人間のために、こんなにも精神状態が悪化するのか、と自分に失望しながら、タスクは半分も終わらなかった。

 

短期の連休でこそ発揮してきた計画性が崩れ、今後の自分が苦しむ未来が見える。

 

涙が出そうだ。1年のスパンが倍くらいになってほしい。

 

自分のせいでもあるけど、辛すぎて少し苦しい。

友達が2人数日違いで彼氏と別れ、辛気臭い空気にのまれ、自分は特になんもないのに辛気臭くなって、少し面倒な女だった。

 

何をしても解決しない、別に毎日いる必要性はないのに、誰かと一緒じゃないと気が来るいそうと、どうしようもなくかっこわるい理由でだらだらと過ごし、どこにも出かけなかった。

 

結局みんなにとって都合がよくて優先順位の低い女というポジションは例外なくあてはまったんだ。かなしい。

 

本を読んだり、映画を見たり、年末年始の方がよく頑張っていたと思う。

 

GW、空虚に過ぎる時間が多すぎて、空しくなってしまう。

 

同じ音楽をなめまわすように何度も聞き、耳がノイローゼになったりした。

限られた人間と会い続けることはきっとお互いにとってよくない。

わたしは他人に対して許容がなさすぎるから、自分の思うように運ばない思考や、行動、発する言葉のわりに行動が伴っていなかったり、目くじらを必要以上にたててしまう。

だめだと思う、けどもはや無理なのだ。プライドだけは高いから何をするにもプライドが邪魔をする。

 

まわりが優しいし、よくできているのに、自分だけが汚い沼にいるようで、醜いままで、ちょっと辛くなった。他人と比べてもどうしようもないのに、他人のいいところを見つけるたびに自分の悪いところを必要以上に見出してしまうし、他人の悪いところをみながら自分のいいところを見つけるけど、その先にあるのは自己嫌悪、なにを偉そうに、と体中の細胞たちがわたしにささやいているような気がする。

 

他人をせせら笑うことを趣味みたいにしているからだろうか、深層の部分はもう取り返しがつかないようなあり様で、それが最近見えるところに侵食している気がする。

 

書きながら、どんどん自分を追い込んで辛くなってきた。

 

こうやって自分を追い込んでメタメタにしてしまうことが趣味のようになってきてもいる。自己肯定感なんてあってないような、幻だった。

 

つらくなったら本や映画を楽しむことにしているが、毎日辛いときはこんなことやっててもいいのか、というか、そんな暇ないから、と切り離してしまうことの方が多い。

 

昨日こそ本も映画も久しぶりに見て、気付いたら4時だった。

 

GW、あと倍ほしいよ、足りないよ、時間が、足りないよ、余裕が。

 

わたしは、ただ、毎日笑って大切にしあいたい、狭くも広い世界で自分のペースで生きたいだけなんだ。

それが人生のわがままと言われる世の中なんだろう。

 

わたしの希望する世の中は、一人ひとりが変われば絶対に実現すると思っていたけど、夢物語なのかもしれない。

具体的に?といわれてもお笑い草にしかならないし、圧迫にしか感じられない。それを一緒に頑張って模索したいんだよ。

 

自分の価値はどうやって量り売りすればいいんだろうね。

わたしはカラフルで健康に悪そうなグミであるべきなのか、とふてくされるけど、

 

「わたしは量り売りのかわいいグミ。だけどあっちのグミと比べて色は青いの。形もあっちは丸だけど、あたしはハート。ほんとにかわいいよね、ところで、買ってみない?」

なんて割り切って進むことが一番なんて知ってる。

 

だけどわたしは人間なので、脳みそ、ちゃんとあるし、偏差値には出てこないかもしれないけど、世の中への鋭い審美眼とか、多分あるよ。

 

ノリもめっちゃいいし、適当に扱うし。たまに雑になっちゃったり、タスク抱え込んで辛くなったり、いろんなことがどうでもよくなっちゃうけど、わりとさっぱりしてるし、危害さえ加えなければ、攻撃的にもならないよ。

 

 

なんて書いてみたところで、所詮、わたしも青いグミ。

 

namly

 

 

存在

 

 

最近、すこし就活が落ち着いて、大学の授業が始まって、卒論に取り掛からないといけなかったり、久しぶりにあう友達と過ごす生活が楽しかったり、少し忙しくなった。

 

なにごとも余裕がないと計画もできないし、余裕がないと視野が狭くなって苦しくなる。このバランスはいつまでたってもうまくいかない。

 

いくつか書類が通り、面接がはじまり、もうとにかく進むしかないなと思う毎日で、学校はやっぱりたのしくて、久しぶりにあう友達もなんだか色々抱えてる。

毎日人間と関わりがあるのはとてもいいことだし、同じ人間とばかりいるのもマンネリがあるんだと実感した。

 

学校が楽しいとはいえ、就活も決めなければならないし、卒業のための単位もとりきらないといけないし、卒論の準備は本格化して、スケジュールをみて真っ青になったり、働いていない分お金がないし、研究会も結構詰まっている。恋愛もうまくいってんだかどうだかわからない。

 

結局のところ、文学も他人の気持ちもいっさらわからないということがわかったという大学生活になりそうな気がする。

 

最近、恋愛感情に振り回されることがいかに多かったかを反省して、できるだけちいさなところからやることはやるということを実践している。

というのも、卒論の準備である先行論文を全く春休みに読んでいなかったから、読み始めるには遅すぎる時期までのうのうと来てしまったということに気付いたからだ。

 

他の人の作品も読み込まなければならないし、論文もまとめ、発表準備、就活、研究会…。言い訳をしてやらないことが一番嫌い(出来るとはいっていない、あくまで取り組む姿勢として)だけど、言い訳にしたい気持ちもよくわかる。

 

これだけつらそうなスケジュールをみたら、自分の計画性が試される気がする。

 

先行論をまとめるにしても、これまで100本をゆうにこえる作品を扱ったことがないし、なにしろ先生にも褒められたためしがない。

けなされてばかり。わたしは褒められて伸びる子なのに。

毎日褒められて、やさしくされて、赤ちゃんのように微笑みかけたい。

 

やってあたりまえのことも、あたりまえのこともできない人たちが多すぎる世の中なんだし、当たり前なことは肺呼吸くらいにしておこうよニッポン。

 

褒められたいときは褒めてほしいっていえばいいし、好きなものも嫌いなものも主張すればいい。わたしたちは社会の歯車と言われると険しい顔をしてしまいがちだけど、大体の人間は今死んでもとくに世界は止まらないし、せいぜい周囲の人が悲しんだり喜んだりする程度で、うまくまとまっていくもんだ。

歯車になれるということは実はとっても誇らしいことなんじゃないかと思う。

 

就活をしていると、歯車でしかない自分がいやで、という転職を経験した社会人がいうことがある。歯車になることすらわたしたちは許されていない。

みながなにかに歯車としてハマっていたくて必死の世の中なのだ。

 

かくいうわたしも、何かの歯車でありたいし。

 

よく頭のいい大人が教えてくれる。

自由とは、ほしがりがちだけど、制約があるから自由はあるということを。

境界線を引くから内部と外部ができることと同じで、なにもないところに自由が生まれることはまずない。

 

わたしたちはいま、必死に所属する制約をきめるために沢山の人間に、花粉症のひとに売り込む空気清浄機のようにPRをする。

売り方や戦略がうまいひとはもう決まっていたりするらしい。

 

幸いまだわたしは恋愛が辛いと思う程度には焦っていない。

 

これからわたしの制約はどう追加され、消され、ひきなおされるのだろう。

どんな人たちと一緒にいるのだろう。

このままでいたいけど、これは刹那。

 

永遠なんてない。わたしはいつかババアになるが、過ごし方でハイカラなババアになるか、羅生門の老婆のみにくさで死んでいくのかもしれない。

イカラなババアになるために、とりあえず苦労は重ねておきたいと思う。

 

今日もなんだかよくわからない一日だったけど、明日からも作業、作業、作業の毎日。

束ねた気持ちを大事にして、おやすみなさい。

 

 

naml

 

変化

 

 

今日、眠くて眠くて、11時間も寝てしまい、もうなにもやりたくなくなって、何もしなかった。

おきてだらだら母が昨日買っておいてくれたコッペパンを食べ、だらだらとPCでネットサーフィンをしていた。久々に使う単語だ。

最近ラインを返さなくなってしまっていたので、別に用事はないけどなにか喋っていたいという軽い連絡を取り合っていた友達たちは電話をしてくるようになった。

確実に相手にしてほしいときは、やっぱり直接あうか電話なんだと思い知らされる。

 

一番連絡を取りたい相手は、なんだか昨日1歩進んで2歩下がった感じがする。どうしたものか、不思議。自分の気持ちが少し変化していくだけで相手がそんなに態度を変えなくてもがらっとちがう人のように感じてしまう。

わたしが変ってしまったのか、相手が変ってしまったのか、とうとう見分けがつかなくて、混乱しながら昨日は一人で寝た。

 

でも、互いに変化しているんだと思う。人間はとまったままではいられない。電車で同じ方向に進む向かいの車両は止まっているように見えて、実はどっちも動いているという感覚に近いのかもしれない。

 

電車と歩く向きが違う時、たくさん歩いているのに、一歩も進んでいないように見えてしまう。こういうことなんだと思う。

 

一緒に映画をみて、感想を言いあえて、ここがよかった、最高!って興奮のままいえるのは、すごくすごく幸せで、でもなんでこんなにわたしはわがままなんだろう。

 

かれの夜を終電までもらったのに、ずっとじかんがほしくて、一緒にいたくて、悲しくなってしまう。どうしようもない気分になってしまう。

 

かれがわたしだけをみてくれればいいのになんて、思ってしまうのはいつ振りなんだろうか。術中にはまらない、といきごんでいても、無理なものは無理だった。

わたしはわたしの思い通りにならない、変な男を好きになってしまうから、いつもうまくいかないし、関係性に名前がつくことを恐れてしまうし。

絶対にわたしだけをみてくれない人に、いつもわたしだけを見てと願ってしまう。

なんと物悲しいルートなのだろうか。

かれとあるく時間、一緒に飲んでいる時間、わたしに合わせて煙草を吸う時、絶対にライターを借りたり、ベランダで煙草もとっくに吸い終わっているのに二人でだらだら話してしまって身体が冷え込んだり、合わせてくれていた歩幅、荷物を持ってくれたり、映画中ねても怒らないでくれたり、わたしのことを女の子と時々形容することだったり、わたしの不器用でなさけないところも笑ってくれたり、わたしの知らないことを教えようとかっこつけてくれたり、真面目なようで不真面目で、理屈っぽくて、趣味の押し付けが激しいから見れないっていってもお勧めしてくるし。そのたびに我慢してみていたら何となくへいきになってしまったり。

溢れるきもちを全部ことばに当てはめたら、切なくなった。こんなに恋愛漫画にありそうなのに、自信はないし、わたしはなにより何もしてあげられていない気がする。

初めてちゃんと遊んだその時にわたしの家で映画オールナイトをしたとき、見終わった朝、外も明るいのに、恋愛の話になった。昨日も久しぶりになった。お互い次をほのめかしたり、カップルのように見られていることは自覚していながら、次に進まない。

 

進む勇気がないのなら、わたしが踏み出してあげてもいいと思いながら、そもそもかれはこんなこと誰にでもやっていて、本当にわたしなんかどうでもいいと思っていたりするのではないかと悲しくなる。

 

3回目のデートのとき、連絡遅いよね、と言われ、遅いよ、と正直に答えたからかもしれないし、わたしが慣れたり、返せないことがあるからかもしれないけど、ちゃんと帰って来るようになった。

これがいい傾向なのか、それとも本当にわたしが映画ファンとして誘っているとでも思ってるのか、もう訳が分からない。かれは自分を鈍いと自覚しているけど、見ないふりをしているだけの気もする、というか、実は人一倍人間の気持ちに気付いてしまうタイプの人間のような気もする。

 

そうやって一人の異性にたいしてこんなにたくさんの想いを感じていたら、

気付いたら家を出なければならない時間はとっくに過ぎていて、しかも迷ってしまって、今日あった打ち上げに幹事のくせに遅刻した。

久しぶりに会う人たちはやっぱり本当に寄せ集めだったはずがあたたかい集団で、少し泣きそうになった。

 

良くも悪くも直球で会話をする人たちの美しさに、胸を打たれ、最近は、土壇場に、雑に、ありあわせのもので取り繕って、たいしたことない自分になって失望するということを繰り返していた自分には、沁みすぎて、楽しかった。

美しい時間だった。

と同時に、もうあの頃の一体感も薄れているんだという変化も感じた。

でもこれでいいのだと思う。

いつかまた巡り合って、どこかで出会い、記憶のなかに埋もれていく。存在する以上、可能性だけは常にある。

生命あるものは時と共に必ず変化する。

変化ない生命などないし、変化がないということは、どこか違うところで変わっているのだと思う。

 

変化は生の証で、対応して行くことも生、逆らってあがくことも生。

うけとめ、川の流れに巻き込まれる石となることも生。

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写真はこんな気分のときにとった、パンダ狩り。

上野、いきたい

 

naml

 

 

 

 

最悪な酔っぱらい方をしたとき、無理やりはいてみると、だいぶ気分がすっきりすることがよくある。

 

そんなかんじで、前回無理やり記事をしたため、公開することによって、サイアクの気分から回復してきた。

 

やはりむりやり重い腰をあげて行動することが一番の特効薬であることを思い知らされた。

とはいえ全部が全部回復し、元気もりもりかと問われたらちょっと違う。

まだまだ凹みまくりだし、いらいらももやもやもする。

ただ、行動くらいはできるようになった。

 

桜もだいぶ葉桜になり、花見は今年もしないまま終わってしまった。

 

上野、行きたかったな、誘うタイミングを平気で逃してしまう。

 

最近、ハイヒールをよくはく。

 

ハイヒール、あこがれの履物で、大人になったら絶対に履きたいと思っていた。

 

足のサイズが女の人のわりにすごく大きくて、サイズがなく、ヒールどころか靴を買うことはいつもだいぶ困る案件ではあったけど遂に採寸をしてもらった。

 

脚にあう靴はこれほどまでに心地いいのかとものすごく感動してしまった。

こつこつと靴音を鳴らして歩くのは、嫌がられると知っているけど、とても気持ちがいい。これはなんかの感覚にあるなと思った。

 

最近、ずっとうつっぽく、なにもできなかったが、しっかりと予定をこなし、考えすぎることをやめ、全てを認めて生きることに尽力した。自分らしさを保つために尽力するなんて変な話だと思ったが、そうすることを怠るとさらに進行するだけということはこれまでの人生でわかっている。

 

とにかく就活から距離を置いた。とにかくいまくよくよしても仕方がない。書類をかきたくないだけなのに。これでも少しは通っていることがもうよくわからない。読んでいるのか?といらいらする。

 

研究会の〆切がちょうどよく入ったり、人とごはんにいかなければならなくなったり、おかげで数日間、すこしいつも通りの生活をした。

 

研究会の〆切のために朝から図書館で調査をし、よるご飯を食べる、久々すぎる。

 

そしてついに昨日は朝から研究会でどたばたした以外に、学校に沢山の人がいた。

いつもさみしかった学校に人がいることは少しハッピーになった。友達にも会え、学生証は4年生仕様になった。

 

飲んで帰って、疲労がたまっていたが、映画を見た。

予想外にいい描写で、予想外に切なくて、全然なくつもりなかったのに泣いてしまった。

昼頃まで寝て、友達と電話して、外で履歴書でも、と思っていたら、急にテストを享けなければならなくなり、テストを受けるために中野へ。

 

中野でテストをすませ、このまま帰るのもなと思い、はじめて中野ブロードウェイにいった。

 

独特の雰囲気ながらも、まず中野らしく広いし、人種もすごい。

 

まんだらけの海馬コーナーはやっぱりおもしろくて、買い物をそこそこしてしまった。

映画のお店をみつけ、大好きでずっと探していたパルプフィクションのパンフもみつけた。そんなこんなですこし出費をしてしまうけど、すごくたのしかった。

 

夕飯は、母と妹としゃぶしゃぶをした。

たくさんたべて、案外回復している自分に気付く、というのがなんとなく感じた流れだった。

すきなことでばたばたしたり、余計なことにくよくよしないだけでこれだけすっきりできるなんてとおどろき。

 

これからのことはちょっと考えものだけど、今日はいろいろ頑張った。

 

明日はデートのつもりの夜がある。連絡が待ち遠しくなって、もうねちゃう、とせかしたら、すぐかえってきて嬉しかったり、最近はそういうこともあったり。

 

なんだか空気が入れ替わったら頑張れそう。

 

やんなきゃいけないことの量はかわらないけど、為せばなる。明日今日残した分を取り返していくために、頑張らないと。

 

おやすみ

 

namlu