刻むいま

 

 

卒業論文と、あの人との関係、考えうる不安の要素はたくさんあった。

 

深夜3時頃、何も手につかない時間だ。

Youtubeをひらき、適当な動画を再生する。

 

家で作業をするときは、なにか音楽がほしくなる。

Youtubeの自動再生にまかせ、ぼんやりと再生される動画を眺める。

ちょうど流れていたのは椎名林檎だった。

 

彼女の耳にぶら下がる、決して少ないとはいえない装飾の数。

「これだ」とひとりごと。

気が付くとAmazonでピアッサーを注文していた。

 

高校生の頃、田舎の進学校だったので、

校則が厳しかった。

そういう意味のない校則が嫌いで、

それに従わないといけない環境が嫌いだった。

人として大好きで尊敬できる先生や友達も、

その規則を主張する瞬間だけは好きになれなかった。

 

外に出てもなにもない田舎の地元が嫌いだった。

そこに愛着やそこからくるあたたかみを感じても、

自分の在りたい姿はどこにも見当たらなかった。

何人もの人々が、追い求めた自分の姿をくすませて

ここにいるのだろう、そういう不安に蓋をして、

無知について無知な、若さととがった気持ちで、

月に一度は都内に行った。

同級生のなかでも多いほうだったように思う。

それでよかった。地元だけで自分の世界を終わらせるのは嫌だった。

都心にある大学を志したのも、自然の流れだった。

 

大学受験が意外と早く終わった。

大都市から少し歩く場所にある、第一志望に合格した。

沢山本を読んだ。卒業したらどうしようと考えていた。

受験を手伝ってくれた先生のことが好きだった。

わたしの受験のために太宰治の文庫本を3冊読んでくれた新任の先生。

 

高校を卒業して、その日にニードルでピアス穴をあけた。

次の日にいつも行く美容院で髪の毛を金髪に染めた。

化粧をするようになった。すきな服を着て、地元を去った。

好きだった先生にもらった本は、いまだに一度も読んでいない。

作家が嫌いだったからだ。

その先生も、復縁した大学時代の人と結婚したらしい。

同窓会には行く気になれなかった。

 

希望に満ち溢れていた。

毎日都心を歩いて、お金を使った。

地元でできないことをした。

色んな経験をした。アルバイトも、ちょっと入ったサークルも、

全部、地元じゃできなかった。

親の目がないのをいいことに

ぼんやりした理由で煙草を吸いはじめた。

周りには「いい子でいるのに疲れたの」と言った。

いい子でいたことなんて一度も無かった。

わたしはいつも、自分のことばかり。

 

そうい気持ちから、もう、3年。

 

3年たった今、白紙に近い卒業論文を見ながら、

ぼんやりCtrlとSで上書き保存をし続ける。

深夜3時の部屋に響く椎名林檎を眺め、

Amazonでピアッサーを2つ注文した。

 

2年目が終わるころには、もう都会にもたらされるものはないなと思った。

その瞬間から、髪を染めることをやめ、

化膿しているのに無理してつけていたピアスの穴は両側に1つずつになり、

化粧も毎日変わらなくなった。

 

興味が薄れていったとばかり思っていた自分が、ピアスをあける。

わたしはいま、何から逃れたいのだろう。

なにに不満を持っているのだろう。

 

好きな音楽も、服も映画もいつでも見れて、好きな町に住んでいる。

やりがいのある勉強も、好きな人と一緒にいることができる。

思えば今年一年は辛抱の時だった。

未来の自分は、この言葉を誰に言うんだろう。

そしてこの苦しみはきっと誰にも理解されない。

 

今ある環境が、友達が、愛する人が遠のいていくかもしれない。

今年一年のあいだに二度と会えない肉親ができた。

永遠なんてないんだな、と思う。

さみしさや、不安、マヒした苦しみ。

その中でかすかに見える幸せ、楽しさ。

 

今ある生活が、半年後にはばらばらに、

永遠に戻らないものになる。

こういう経験はたくさんしたはずなのに、耐えがたく思う。

悲しかった。不安だった。

消えるかもしれない関係性。

わたしが望んでも、保つことが出来ないかもしれない、そういうもの。

たった一人、このままでは終われない人がいる。

好き勝手言いやがって、とおもう。

どうせ散るなら、派手に、一生の傷に。

愛と憎悪は紙一重

烈しい熱情と、それを取り巻く優しい感情。

和やかで、この瞬間が、永遠であればいいのに。

このまま、あなたと一緒にいたい。

そんな気持ちで開ける穴。

 

思い描いた人には一切連絡せずに、

勝手にあけた。

 

きっと思い描いた人は、わたしの耳に穴が開こうとどうでもいい。

わたしが思っているより、わたしに感情なんて籠っていない。

 

知っている。知っている。

なんど呪文のように心の中で唱えただろう。

なんど本当の気持ちに、蓋をしただろう。

なんどわたしの容姿や性格を呪っただろう。

愛に惑わされ、愛を与え、見返りを求める強欲さ。

それが人間なのだろうか。

人間であることは、とても苦しいことの連続なのかもしれない。

 

今日、思い描いた人の好きだった飲み屋が閉店した。

彼の中に、その飲み屋にわたしはいないんだろう。

なんとなく、文面以上のことを読み取ってしまう。

わたしの身体に、ついた傷は彼への気持ちが渦巻いているのに。

ああ、腹立たしい。

 

妹にあけてもらった2つの穴は、感情が渦巻く穴になった。

穴が増えた左耳、久しぶりの痛み。

愛おしい、離れたくない人、わたしを愛そうとしてくれない人、

わたしじゃなくても人間に臆病な人が興味のないわたしの左耳。

 

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誰かと特別な関係になりたくない。

縁を切るのが得意だと威張られた。

恋愛は苦手だとわたしにくどくどと言う最低な男をいまだに好きでいる。

それでいて、臆病で、やさしくて、しんからの思いやりがある、最低な男。

長所であって短所である彼の特徴は、わたしにはないものが多い。

そんな彼に、ただあなたと一緒にいたいという、

わたしの願いとわがままは聞き入れてもらえないのだろか。

 

特別かどうかなんて振り返って初めて分かるものじゃない。

最初から当てはめなくていいから、すこしはわたしと向き合って。

映画じゃなくて、音楽じゃなくて、わたしをみてよ。

そういう願いは、受け入れてもらえないのだろうか。

 

これから先の不安なんて、その時に考えようよ。

一緒に向き合おうよ。だめなのかな?

 

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先読みのし過ぎなんて、意味のない事はやめて、

いまを、いまを楽しもうよ。

わたしも、できるだけいまを楽しむから。

 

 

散らばる

 

なみなみと液体が注がれ、あと少しでこぼれそうなグラスをもちながら

どこに運べばいいのか見失ってしまう、そんな時が永遠かと考えたら、寒気が襲う。

 

これまで、なんどか転びそうになりながら、

慎重に回避し、時に大胆に運んできた。

ただグラスを落とさないために。

 

いままで、おそるおそる、なんとか運んできたが、

運んでいる本人がグラスにばかり気を取られ、グラスをどこに運ぶのか、

ここはどこなのか、気が回らなくなってしまっていた。

 

そんな状況が続いて、さすがに明りも消えてしまってはなにも見えず、

道だと思っていたところが一瞬にしてただの地面となり、

いまわたしはどこを歩き、どこへ向かえばいいのか、

さらにわからなくなり、グラスも落ちた。

 

びしょびしょの床とガラスの破片に、

わたしは何を想っているか。

 

後悔?責任感?解放感?自己嫌悪。

 

こんな苦しい状況から、誰か助けてくれないか、

誰か連れ出してくれないか、いや、連れ出さなくてもいい。

せめて、明りをつけてーーー。

 

そう思った瞬間、わたしは思いだした。

この空間には、なみなみと液体を注がれたグラスを持っていたのは

わたし一人だったけど、人自体は一人じゃないことを。

 

思い浮かんだのは何人かいた。

だけど、今すぐ会いたいと思うのは一人しかいなかった。

咄嗟に声を上げた。

「お願い、明りをつけて、グラスを落としちゃった」

 

明りがついた。

そのせいで、涙でぐしゃぐしゃに、

こぼした液体でびしゃびしゃになった

情けない姿のわたしが明るみに出る。

暗闇で見えなかった道は、案外広く、平らだった。

少し、頭を使わないと歩けないけど、そんなに難しく無い筈だ。

どこでわたしは、道を狭く感じてしまったのか。

 

明るくなった空間に、その人の声が響く。

もはや懐かしく、愛おしい声には、やさしさが宿っていた。

その声を聞いて、涙が溢れる。

 

恥ずかしいよりも先に、謝罪の言葉が出た。

その言葉を聞いているのかどうかは不明だが、心配の声。

それを聞きながら、さらに涙が流れ、お礼が出た。

 

一人じゃない、味方がいる、その事実がどれほどわたしを救ったか。

わたしが慕うその人は、一緒に落ちたグラスをみて、

一言も咎めず、辛かったねと言いながら、破片を拾ってくれた。

こぼれた液体を目にして、その人はモップとバケツを持って来てくれた。

やり方を説明してくれた。あとを掃除するのはわたしだよ、と伝えながら。

 

こんなにこぼれた液体を、もう一度拭いて、注ぎなおすか、

モップでみんな拭いてしまって、コップに程よく注ぎなおすか。

 

深夜に誰もいないとおもった空間は、案外人がいた。

その人は、ゆっくりと時間を使ってくれた。

わたしを認め、否定せず。その人のお蔭で、わたしは破片で傷つかずにすんだ。

 

破片をだいたいひろった後、一度無視して、空間を出なと言ってくれた。

お蔭でわたしは、一度外の空気を吸えた。

 

破片を集め、深夜に見る。

新しいグラスにどのくらい注ぐべきか、まだ悩んでいる。

何故悩むのか、分からないでしょう。

 

沢山注いだグラスを運び終えた感覚は、運び終えた者にしか分からない。

でも、それは、運び終えることが出来た人のみが感じることができる。

 

わたしは運ぶ力があるのか、わからない。

 

液体はそろそろ拭きに戻らないといけない。

注ぎなおす作業もある。

 

ほかにもたくさん、たくさん。

 

ただ、一人じゃない。それだけがわたしの救いだ。

 

コップを落としたことに対して、

批判的な視線も感じる。

甘えるな、そんな自分の声も聞こえる。

 

はたまた、自分の声が、自分の首を絞めつけることもある。

 

この空間にはあと半年しかいることができない。

 

あと半年で、どれだけ後悔なく生きて行けるのか。

 

どれだけのことがなし遂げられるのか。

 

前を向かなければならない。

感謝の気持ちを忘れずに、一人じゃないことも忘れずに。

 

さようなら、昨日までのわたし。

もう回復できたでしょう。明日から、もう少しの辛抱。

 

あなたにはあなたのできること、やりたいことを。

 

namly

新曲に尽いて

 

 

愚痴のようなことばかり書いてしまった。

気持ち悪くて吐いたあと、口が最悪の状態になっていて、

すっきりしたはずなのに全然体調も気持ちもすぐれない、あの感覚に近い。

だからといって吐かないことがいいと聞かれるとそういうわけではない。

吐かないと乗り越えられない体調はある。

吐く場所を選べば、だれも文句は言わないのだ。

 

自分のことを大切にするあまり、

見失いがちな自分を取り戻すために、

思い切って好きなものの話をしようと思う。

 

椎名林檎が、10月1日に新曲を発表した。(正確には2日?)

配信が始まって、コラボの相手も初めて分かった。

 

新曲がでるという事実に、わたしは純粋に心が躍ったが、

またコラボか…とも思ってしまう。

というのも、

最近の活動がどうも裏方に偏っていることが大きな要因だが、

そろそろ純粋に主役の彼女も見たい…!というのが

わがままなファンとしての正直な気持ちである。

 

これは紅白もまたこのパターン…と少し気は落ちてしまったが、

配信開始した夜、AppleMusicでダウンロードをし、

音量をいつもよりあげたスピーカーに耳を傾けた。

エレカシは有名曲しかしらない、フェスでステージをみて若干涙するくらいの

にわか中のにわかであることは承知である。

それでも言わせてほしい。

椎名林檎は裏方としてもやっぱり天才だ。

 

youtu.be

 

こんなに椎名林檎の曲なのに、みやじの魅力をはっきりと出せるの、

単純に天才か?と感じる。

いや、トータス松本氏の時も思ったが、

本当に彼女の世界に魅力を活かしながら大物を取り込む力に、毎回涙させられる。

どんなところに?と言われるとわからない。具体的になんていえない。

勇気づけられる歌詞に?いや、それだけじゃない。

懼れのなかで力強く歌う二人の姿に?声に?それだけじゃない。

今回もこの大きすぎるコラボにわたしはしっかり涙させられた。

 

いろいろな意見を目にする。

コラボには双方のファンの複雑な心境がつきものではある。

 

仕方がない、どういわれても、受け止めるのは個人だから。

ただ、わたしはこの曲で、少しだけ、現実に向かって前向きになれたのは事実である。

 

 

本物か贋物かなんて無意味 能書きはまう結構です

幸か不幸かさへも勝敗さへも当人だけに意味が有る

無けなしの命がひとつ だうせなら使ひ果たさうぜ

かなしみが覆ひ被さらうと抱きかゝへて行くまでさ

借りものゝ命がひとつ 厚かましく使ひ込むで返せ

さあ貪れ笑ひ飛ばすのさ誰も通れぬ程狭き道をゆけ

 

この歌詞を今日も胸に、

残り一日、いや、これから生きていきたい。

 

namly

 

 

咲く場所

 

なにもできない。自分の気持ちがへとへとだからだろうか、果たして、部屋が暗いからだろうか。

 

へんに季節外れで、災害の多い一年で、いらいらする。

 

世界が自分中心でないことは分かっているが、何もしていないのに熱を帯びたPCとか、そういうひとつひとつ、ないことを当たり前としすぎて、何にも対応できない。

 

自分をいろんな気持ちが苦しめる。承認欲求や自己顕示欲、だれにでも普遍的にあって、たぶん生きている限りは相当なことがないとだいたいのひとは付きまとう問題なのではないか。

 

それは現代に生きる、生き方が自由だから普遍的になったのであって、なんだか自分を過信してしまう。それはわたしだけだといわれれば閉口するが、だいたいみんな、人と比べて、いろんな気持ちと戦っていると思う。

 

ああ、頭が痛い。冷房をいれようか、もう夕方で、一日はこうも早く終わる。

 

なにもできない、と今年は何回感じて、活動的な一日を何日間無駄にして来ただろうか。

 

大切にしてくれる人をなんどむげにして、大切にしてくれない人たちになんど躍起になっていたか。

 

もうだめです、こんなわたしは。

色々と目上の人に自己を否定され、といっても自分が悪い場合が多いので仕方がないし、不当じゃなくてわたしが駄目なのだが。

どう転んでもわたしはついていけないことが多すぎる。やればいいってことじゃないし、ペースが人より遅くて、それを感じて自己嫌悪、もう駄目になって自分を取り戻して立ち上がってまた打撃、自信がないとか、そういう話ではなくなってきた。

 

なにを見ても、なにを聞いても、なにを読んでも、自分を否定するものにしか感じられない。こんななら、こんな自分に気付かず、毎日自信に満ちていて、楽しく笑顔で過ごしていた数年前のほうがよっぽど魅力的だ。

 

おなじ力量なのに、できないことに気が付きはじめると、もうなにも行動できない。

なにも言えなくなる自分に、なにも考えられなくなる自分に、いつになったら勝てるのだろうか。だれかに認められて解決はしない。ただ、わたしが力をつければそれでいいのかもしれない。

 

おかれた場所で咲けないのなら、わたしはどこに行けばいいのだろう。

咲けない場所があるとしって、わたしは無知のように生きられるのだろうか。

 

昨日、読んで全然わからなかった話を思いだす。

 

よんでもわからないことを聞いても、何も解決しなかった。結局わからないわたしを否定されただけになってしまった。

 

今週が終わろうとしている。やっぱり占いはあたっているのかもしれない。

 

 

namly

 

最悪なのは、いつ?

 

 

目まぐるしい日々だった。

 

どこから話せばいいのかわからないけど、きっとどこからも話す必要はないのだと思う。

 

良かったこと、悪かったこと、どちらもたくさんあった。

 

人間関係、将来のこと、自分の予定、これからのこと、いまあること。

全部が全部、自分の負担に見えて、全部が全部、敵に見える。

 

愛ってなに?やさしさってなに?いい人ってなに?大人ってなに?

 

これまでの自分を否定されるようなことも、これまでの自分を思いがけず認めてもらうことも、どちらもあった。どちらもあって、別に幸せにも不幸にも感じない。

 

感情を言い当てるなら、疲労、だとおもう。

 

毎日笑って、毎日なにかに感謝して、それは全部本当のようで偽物だったりする。

信じられるものはどこにあるんだろう。探し当てる元気もないな。

 

いま差し伸べられている手を掴む元気もない。

楽しかったはずなのに、全部刹那的で、苦しいことだけが残っていく。

 

全部ぜんぶ、苦しさと一緒にあるから、後味が悪い。

 

苦みって、最後まで残るんだね。

 

愛がない、と言われた。特定の職業を無意識に愚弄していると言われた。

全部全部、実は知っていて、でも目を背けて来たことだった。

背けて来たことから逃れられないいま、これから生きていくには、それをどうにかしないといけないらしい。

みんないつ、そういう力をつけているんだろう。わたしはいつ、どのタイミングで取りこぼしてきたんだろう。わたしのせいなんだろうけど、わたしはわたしで、空虚に生きて来たのかな?

 

毎日毎日、なにがそんなに忙しいの?苦しいの?と言われる。

わからない。ただ、みんなにとって、無理なく配分されているなにかが、わたしには沢山配分されていて、目まぐるしく動くわたしを、一部分しかみることができない人たちは、苦しみを理解できるわけがない。そうやってみな、人生がある。

 

あなた、わたしだけじゃない、それが慰めの言葉ではないと気付いたのはいつだろう。

みんな一緒だよ、それが威圧の言葉であることに気が付いたのはいつだったか。

 

くるしんだことのない人がいう言葉には、どこか一つ抜け落ちている。

くるしんだことのある人も、どこか一つ抜け落ちている。

わたしは幾つ、抜け落ちているのだろう。

 

生きることに疲れてきた。かといって、死にたくない。こどもだから、はやく生きやすい世界に行きたい。

本当に、毎日散々だ。みんなどっかいけばいいのに、どうしようかな。

 

占いに、今年は最悪って書いてあった。

人のせいにしたい。わたしはいつも通り頑張っている。

そんなんでぜんぶうまくいけばいいのに。

 

そういえば、占いには、来月が最悪って書いてあったな。

明日から、最悪の日々が始まるな。

 

namly

どうしよ

 

 

我慢できなくなってきた。

 

なんだかいろんな感情を言い訳にしてなにもかもできない事実がしんどくて、自分の弱さがじりじりと迫って来る。

 

何かしらの〆切に向かうにつれて、現実逃避からまえまでできていた計画して何かに取り組むことが出来なくなっていった。

徹夜すればいいじゃん!と思ってしまう。

 

乗り越えてしまったから、できたか否かは置いておいて。

変えたいけどなかなか治らない。

 

今回もそう。なんだか苦しい。

 

すらすらと文章が書けない。どうしてだろう。頭の中のモノがすくないのに散らかって、片付ける気持ちが起きない。

 

なにをもやもやしているんだろう、いまわたしはどこにいるんだろう、ぐっすりとねむりたい、頭をからっぽにして沢山遊んでもなにもよくならなかった。

 

どうしたらいいのだろう。

わからない、わからない、できない、こわい、どうしよう、山積みのタスク、できない自分、やりたくない自分、早くやらなきゃとおもう自分、みんなが一斉に声をあげている。目をそらして携帯を見続ける。

 

バカなのかな?と思う。でもやめられない。思考が止まっている。

進まない。思い付きでこなすだけこなして、しばらく答えのあるいわれたことしかやりたくない。

 

文字を言われた通りに正しく打ち込むことをしたい。

 

お金もほしい、かっこよく生きたい、自立したい、だけど出来ることってない。

 

どうしよう、どうしよう、どうしよう。

 

 

 

いつも、誰に向けてでもなく、わがままな自己の気持ちをただ吐露するだけのブログで記事を書いてきた。

誰のためでもなく自分のために、すなわち読まれるための文章ではなく、ただのマスターベーションとして文章を書いてきた。

 

最近はそれが氾濫して、それをよしとする感じがあるところも正直あると思う。

 

わがままな、甘ったれた、子供じみた自分の主張。

 

恥ずかしくなってくるが、そうしなければ処理できない自分の気持ちもあるので、嫌ならば見ないで、のスタンスでご容赦いただきたい。

 

たしかに誰かに読まれることも多少は考えている。それはインターネットの海に投げ込んだ全世界に公開されたブログだから。決して資源ごみとなるしかないチラシの裏や、鍵付きの誰にも読まれることなく燃やされるノートに書いているわけではないから。

 

最近noteも使っている。noteはなんのために使っているのかというと、自分のツイッターhttps://twitter.com/___mmmxr_)の下書きがたまりすぎてそれをマガジンとしてまとめている。

 

これも実に甘ったれた文章で嫌なのだが、こうしなければパンクしていた、としか言いようがない。

 

多少読まれる可能性があるからこそ、気持ちを相対的に言葉にすることが出来る。

だれになんと言われようと、鼻で笑われようと、こうしなければ保つことが難しかったから、開きなおっておきたい。

 

これを偶然みた、知り合いたちには赤面するしかないが、それも覚悟してはいる。

 

プライドだらけで、つまらん自己主張ばかり、わがままばかり、いいところなんて一つもないんじゃないか(そんなことはないよ)の繰り返し。

結局(そんなことはないよ)がほしいんじゃないか、といわれても仕方がない。

 

いまは鍛錬の時期だと思って。やっと鉄が熱いと思って、打たれるだけ打たれたい。

 

あれ、何を言いたかったんだ。こういうところに、真理はあるんじゃないか。

https://note.mu/mmmxr

namly